[2015年度] 2月13日 喜連環濠地区フィールドワークと交流会

喜連村会議-1

 

喜連環濠地区まちづくり研究会<まち研>は、平成22年6月発足(会員20名)。同年8月大阪市まちづくり推進団体に認定され(5年間)。同年10月まちづくり研究会ニュース(第1号)発行(4000部)以後年1回発行。平成23年10月喜連音楽祭(第1回)(約200名参加)以後毎年実施。同年より「大阪あそ歩」のコースとなる。平成26年毎大阪場所前に東関部屋の協力を得て「子供餅つき大会」を実施。同年8月より平成27年3月まで案内板(散策マップ等)21か所設置。平成27年9月まちづくり構想を策定。同年第1回「灯火の夕べ」以後毎年実施予定。以上がまち研の経歴です。

環濠と言いますと堺が全国的に有名で、近くの平野の環濠も規模としては大きなものです。喜連環濠はコンパクトではありますが、寺院や古民家が密集しており、独特の景観を保っております。喜連(キレ)は、伎人(くれひと)のクレが訛った地名(本居宣長「古事記伝」)で、伎人とは大陸文化をもたらした大陸からの渡来人のことです。縄文時代、海面は今よりも高く、喜連は、古代河内湾南岸の良港で、大陸文化の玄関港でした。瓜破北遺跡より西暦500年から550年頃の準構造舟が発掘されました。古墳時代後期には、住吉津から喜連を経て飛鳥に繋がる磯歯津路がありました。中世には、喜連全体は如願寺を主舘とした深さ3mの環濠(堀)で囲んだ喜連城となり、南北朝の戦乱、応仁の乱、大阪夏の陣を経て、袋小路の多い街並みが残りました。江戸時代には、環濠は農業用水路に変わり、中高野街道沿いには、酒・油・薬などの地場産業が生まれ、村には今に残る歴史的建造物である寺社や古民家が建ち、環濠の入口には地蔵尊が祀られていました。現在も7地蔵が残っています。

喜連環濠地区のまち歩きを、村史の白川代表に説明を頂き、歩かせて頂きました。当日は残念ながら雨天でのまち歩きとなり、撮り歩きには厳しい環境でした。まち研で設置された、案内板・地蔵尊・道標・古民家地区を見学。寺院では、白川代表が住職をされている寳圓寺の本堂を見学させて頂き、目に付く江戸時代の駕籠や堂内の彫り物の説明を頂きました。同寺は、15世紀久宝寺の慈願寺法円に帰依した西喜連村惣道場が前身(法円はあの法円坂の由来の僧侶)。融通念仏宗の専念寺境内を見学させていただきました。古民家は、まち研の事務局の辻江家宅(天保年間)お庭を見学。残念ながら更地となった佐々木家跡地(安永7年1776年)他古民家群の路地。楯原神社、奥殿は市指定文化財、絵馬堂の釣鐘は神仏習合時代を伝える。如願寺、聖徳太子創建の喜連寺。善法寺等7寺を擁する大伽藍であった。まち研の天野代表宅(天野茶屋)にて休息、喫茶。

まち歩きを踏まえて、まち研の会員7名様と、関西まちづくり協議会(関まち)会員と当日まち歩きの参加者10名による意見交換会を中町会館にて実施。[関まち会員の感想]同地区への転入者へ、この地区の知名度・認知度のUPが必要/この地区は特色がある古民家の説明、古民家の継承が必要/保存と活用・活性化が必要/古い街並みを知らなかった/防災面が心配/イベントで知名度UPを/建築専攻の学生による勉強の場、建築学会等で発表の機会を増やす(認知度を上げる)/地と知の接点を求める。[当日参加者]古い街並みがこれだけ有るとは、知らなかった/地元にいて、知らないことが沢山あった/古民家・景観を知らなかった。[まち研会員の意見]同地区の常磐大学の学生さんとフィールドワーク・喜連の歴史を幼稚園児へ紙芝居等で紹介、寳圓寺での幼稚園児のお泊り保育の際に実施/喜連音楽祭には、喜連中学校吹奏楽部に毎年出演頂いている/古民家が取り壊しの際には、不要の古文書等譲り受け、発掘を申し入れしている/新しい建物建築に際しては、建築業者に景観に配慮した設計を申し入れている/防災面では、消防車が入れないので、20mホースと水圧を上げている。[問題点]古民家の保存には、費用負担が大きすぎる/古民家の構造内容を保存には、プライバシーの問題が生じる/住民の高齢化により、古民家を手放す/まち研会員の高齢化による活動の将来。

以上の意見を踏まえて、関まちが今後どのような拘りが出来るか、再度、喜連環濠地区の撮り歩きなどをしながら、提案出来ることを模索していきたい。